ゲインステージングとは

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
エフェクトを挿すほどなぜか音が汚くなる。ミックスの終盤、マスターのメーターがずっと赤い。トラックを重ねるたびに全体がうるさくなる。別々の悩みに見えて、原因をたどると同じ場所に行き着くことがよくあります。入口の音量が大きすぎるのです。
ゲインステージングは、音が通り抜けていく各段階で、適正な音量を保つことです。地味な言葉ですが、これが崩れていると、EQもコンプも本来の働きをしてくれません。仕組みと目安の考え方、そして混同しやすいフェーダーとゲインの違いまで整理します。
先に見ること
ゲインステージングは、各段階で音量を無理のない範囲に保つことです。
- 音は「録音→音源→エフェクト→フェーダー→マスター」とバケツリレーで流れる
- 入口であふれた音は、後の段階でいくら下げても元に戻らない
- 録音時は「いちばん大きい瞬間でも割れない余裕」を最優先
- ゲインは入口の量、フェーダーは出口の混ぜ具合。役割が違う
音はバケツリレーで流れている
段階(ステージ)という言葉が理解の入口です。
DAWの中で、1つの音は思っている以上に長い道のりを通っています。マイクや楽器からの録音、あるいはソフト音源の出力に始まり、挿したエフェクトを1つずつ通過し、フェーダーを経て、最後に全トラックが合流するマスターへ届く。
この通過点ひとつひとつが「ステージ(段階)」で、各段階に入ってくる音の量が「ゲイン」です。
イメージはバケツリレーです。水(音)を次の人へ順番に渡していく時、最初の人がバケツになみなみ注いでしまったら、どうなるでしょうか。
2人目も3人目も、どれだけ丁寧に運んでもこぼれ続けます。途中の人の腕前では取り返せません。
ゲインステージングとは、リレーの全員が「こぼれない量」で受け渡しできるように、各段階の水位を見ておくことです。
大事なのは、これが特定のつまみや操作の名前ではなく、通し方の考え方だということです。だから「ゲインステージングのやり方」を1か所の設定として探しても見つかりません。
見るべき場所は、音の通り道の全部です。とはいえ毎回全部を点検するわけではなく、最初の受け渡し、つまり入口さえ守れていれば、残りは自然に収まることがほとんどです。
入口で大きすぎると後段全部が歪む
最初の一滴のあふれが、最後まで残ります。
音量には、そこを超えるとあふれて記録できなくなる上限があります。上限を超えた瞬間、波形は頭を切り取られたような形になり、これをクリップと呼びます。
切り取られた部分は音の情報として失われているので、後からフェーダーで小さくしても、静かになった歪みが再生されるだけです。バケツからこぼれた水を、下流で拾えないのと同じです。
特に取り返しがつかないのが録音です。歌やギターを割れた状態で録ってしまうと、その素材は何をしても元に戻りません。
ミックスの腕前とは無関係に、入口の時点で勝負がついています。
もうひとつ見落とされがちなのが、エフェクトへの入口です。コンプやEQなどのプラグインは、常識的な音量が入ってくる前提で設計されています。
想定よりずっと大きい音を流し込むと、コンプは触ってもいないのに効きすぎ、歪み系でもないのに音がざらつく、といった不可解な症状が出ます。「エフェクトを挿すほど音が悪くなる」と感じる時、疑うべきはプラグインの品質ではなく、そこへ入っていく音量です。
録音時とミックス時の目安の考え方
場面によって、守るものが変わります。
では各段階でどれくらいの音量にすればいいのか。特定の数値を暗記するより、場面ごとに「何を守るための余裕か」で考えるほうが応用が利きます。
録音時に守るのは、割れないことです。レッスンでも判断の軸にしていますが、録音では大きく録ることより、割れずに残すことを先に見ます。
ここで注意したいのが、人は本番で大きくなるという性質です。テスト歌唱では平気だったのに、感情が乗った本番テイクのサビで振り切れる、というのは定番の事故です。
目安は「その曲でいちばん大きく歌う・弾く瞬間を試して、それでもメーターが赤に届かない」設定にすること。
録れた音が多少小さくても、後から持ち上げられます。逆は戻せません。
ミックス時に守るのは、作業のしやすさです。各トラックのメーターが上のほうに張り付いていると、フェーダーは下げる方向にしか動かせず、エフェクトの入口も常に満杯です。
それぞれのトラックが、メーターの真ん中あたりを中心にゆとりを持って動いている状態なら、フェーダーもエフェクトも素直に反応してくれます。トラックを重ねるほど合流先のマスターは膨らんでいくので、1本1本は控えめなくらいでちょうど釣り合います。
耳での確認方法もあります。全トラックを鳴らした時に、音量を下げてもまだ濁って聞こえるなら、どこかの段階で音が無理をしています。
フェーダーではなく、入口側から順にたどって探してください。
なお、最近のDAWは内部の計算に余裕があり、道中で多少大きくなっても即座には壊れにくくなっています。それでも入口を整える価値が変わらないのは、録音の瞬間と、実機の挙動を再現したタイプのプラグインの入口が、今もあふれに弱いままだからです。
仕組みに救われることを当てにするより、最初からこぼさず渡す習慣のほうが確実ですし、習慣になってしまえば、ゲインステージングに意識を使う時間はほとんどかからなくなります。
フェーダーとゲインの違い
同じ「音量つまみ」でも、立っている場所が違います。
ここまで読むと、こんな疑問が出てくるはずです。音量ならフェーダーで調整しているのに、なぜ別にゲインを見る必要があるのか。
答えは、2つが音の通り道の別の場所に立っているからです。
ゲインは入口の蛇口です。エフェクトより手前にあり、そのトラックの処理全体に流れ込む量を決めます。
フェーダーは出口の注ぎ加減です。エフェクトをすべて通り終えた音を、他のトラックとどう混ぜるかを決めます。
つまり、フェーダーを下げても、その手前のエフェクトに大量の音が流れ込んでいる事実は変わりません。蛇口が全開のままシンクの水位だけ調整しているようなものです。
| 比べる点 | ゲイン | フェーダー |
|---|---|---|
| 位置 | エフェクトより手前(入口) | エフェクトの後(出口) |
| 決めるもの | 処理に流れ込む音の量 | 他のトラックとの混ざり具合 |
| 下げると | エフェクトの効き方ごと変わる | 聞こえる大きさだけ変わる |
| 使う場面 | 音が濁る・エフェクトの効きが変な時 | バランスを取る時 |
使い分けの指針はこうです。
- バランスの調整はフェーダーで。
- 音の濁りやエフェクトの不調は、ゲインすなわち入口で。
フェーダーはミックスの主役なので、ゲインで入口を整えて、フェーダーが真ん中付近で自由に動ける状態を作ってあげる、という関係と覚えてください。
ゲインステージングは、それ自体が曲を良くする工程ではなく、これから行うすべての処理の土台づくりです。この土台が制作の流れ全体のどこに位置するかは、制作工程マップにまとめてあります。
よくある疑問
全トラックの音量を毎回測る必要がありますか
測定を日課にする必要はありません。各トラックのメーターが赤に触れず、上のほうに張り付いてもいない、という状態を保つ習慣で十分です。音が濁る、エフェクトの効きが変だと感じた時に、入口から順に音量をたどって点検します。
逆に音源の音が小さすぎる時はどうしますか
フェーダーを上げ切ってしまう前に、音源の出力やゲインつまみなど、入口側で持ち上げます。フェーダーは他のトラックと混ぜるための道具なので、上げ切った状態で使い始めると、あとで調整する余地がなくなります。
どのトラックも赤くないのに歪んで聞こえます
トラック単体では問題なくても、音が合流する場所で足し算されてあふれることがあります。ドラムをまとめたバスや、全トラックが集まるマスターのメーターを確認してください。トラックが増えるほど、合流点の音量は静かに膨らんでいきます。
作りかけの曲が全体的に大きすぎます。直せますか
直せます。全トラックのフェーダーを同じ量だけ一括で下げれば、バランスの比率を保ったまま全体を下げられます。1本ずつバラバラに下げ直すと比率が崩れるので、必ず同時に選択して動かします。
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