キックとベースがぶつかる時の直し方

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
キックは単体で聞くと気持ちよく鳴っている。ベースも単体ならいい音。ところが2つを同時に鳴らした瞬間、低音がもわっと濁って、どちらの輪郭も消える。音量を上げても迫力は出ず、余計にこもる。DTMの低音で誰もが一度はまる沼です。
これは腕の問題である前に、場所の問題です。低い音の帯域はとても狭く、そこにキックとベースという2人の大男が同時に立とうとしている。だから対策も「どちらかを上手に譲らせる」ことに尽きます。この記事の順番どおりに試せば、EQの難しい知識がなくても濁りは減らせます。
先に見ること
低音の衝突は「同じ帯域の取り合い」。直す順番が決まっています。
- 原因:キックとベースが同じ低い場所を同時に鳴らしている
- 順番:音色選び→どちらを下に置くか→音量→EQ→サイドチェイン
- 手前の手段ほど安くて効く。EQから始めない
- 仕上げの確認はモノラルで。濁りが正直に聞こえる
なぜぶつかるのか
低い帯域は一車線の細い道だからです。
音の高さの世界を道路にたとえると、中域から高域は車線の多い広い道です。ギターと歌とシンセが同時に走っても、なんとかすれ違えます。
ところが低域は一車線の細い道で、しかも人の耳はこの帯域の細かい違いを聞き分けるのが苦手です。似た高さの音が2つ同時に走ると、別々の音ではなく「濁ったひとかたまり」として聞こえます。
キックの胴鳴りとベースの音は、まさにこの細い道の同じ場所を使います。さらに困ったことに、キックが鳴る拍とベースの音が鳴る拍はたいてい重なります。
同じ場所、同じタイミング。ぶつからない方が不思議な設計なのです。
もうひとつ、低音は波が長いため、重なると互いに打ち消したり膨らんだりが起きやすいという性質もあります。音量を足しても輪郭が出ないのはこのためです。
原因が場所の取り合いだと分かれば、やることは明確です。2人を同じ場所に立たせない。
ここから先は、その具体的な方法を安い順に並べます。
対策には順番がある
手前の手段ほど簡単で、効果が大きい。逆走が一番の遠回りです。
低音の衝突を検索すると、EQやサイドチェインといった処理の話が最初に出てきます。しかし処理は本来、後ろの工程です。
実際に手を動かす順番は、
- 音色選び
- どちらを下に置くかの役割分担
- 音量
- EQでの住み分け
- 最後にサイドチェイン。
この順です。
理由は単純で、手前ほど1回の操作で解決する量が大きいからです。そもそも重ならない音色を選べば、後の処理は全部軽くなります。
逆に、相性の悪い音色同士のままEQで削り合うと、両方の音がやせ細った上に濁りも残る、という最悪の結果になりがちです。
これはミックス全体の考え方とも重なります。レッスンでは、ドラム、ベース、鍵盤やギター、上物、ボーカルと、低い音域から上へ順番に積んで聞くことを勧めています。
土台の低音が濁ったまま上を整えても、家は傾いたままです。キックとベースの住み分けは、ミックスの一番最初にやる価値がある工事なのです。
対策の順番早見表
上から順に試します。上で解決すれば下は不要です。
| 順番 | やること | 効き方 |
|---|---|---|
| 1. 音色選び | 重心の高さが違うキックとベースを組み合わせる | 衝突そのものが起きにくくなる |
| 2. 役割分担 | どちらが低い場所を担当するか決める | 譲る側と残る側がはっきりする |
| 3. 音量 | 主役に決めた方を基準にフェーダーで整える | 埋もれ・出すぎの大半が解決 |
| 4. EQ | 譲る側の低い成分を少しだけ削る | 残った重なりの濁りを掃除できる |
| 5. サイドチェイン | キックの瞬間だけベースを自動で下げる | それでも残る同時発音の衝突に効く |
音色選びと役割分担で半分解決する
処理を始める前の2つの決断が、一番の節約になります。
最初の一手は音色選びです。キックにも、低い成分がずしんと長く伸びるタイプと、アタックの点で聞かせる軽めのタイプがあります。
ベースの音色も、底の方まで支える太いものから、中域寄りでブリブリ聞こえるものまで様々です。太いキック×太いベースのように、重心が同じ高さの組み合わせを選んでいたら、その時点で衝突は約束されています。
音源のプリセットを替えるだけで濁りが消えることは、本当によくあります。
次に、どちらを下に置くかを決めます。一番低い場所はどちらか一人の席です。
ダンス系ならキックが下、ベースはその少し上で動く形が定番ですし、生バンド風の曲ならベースが底を支え、キックはアタックで存在感を出す形もあります。正解はジャンルと曲次第ですが、「決めていない」ことだけが不正解です。
この2つはミックスの技術というより、アレンジの決断です。だからEQの知識がない初心者でも今日できます。
そして効果は、この後のどの処理よりも大きいのです。
音量、それからEQで住み分け
フェーダーで主役を立ててから、EQは掃除に使います。
役割が決まったら、キックとベースの2トラックだけをソロにして、フェーダーで音量関係を作ります。主役に決めた方がはっきり聞こえ、もう一方がそれを支える。
この関係が音量だけで作れていれば、処理は最小限で済みます。
それでも濁りが残るときに、初めてEQの出番です。考え方は「譲る側の、下の担当ではない成分を少し削る」。
たとえばキックを下に置いたなら、ベースの一番低い成分を控えめにして、キックの席を空けます。逆にベースを下に置いたなら、キックの低い伸びを整理します。
周波数の暗記は要りません。削る量を少しずつ増やし、濁りが薄れて、かつ音がやせない点で止める。
耳で決めるのが結局一番正確です。
やってはいけないのは、両方の低音を同じように盛ることと、両方を同じように削ることです。前者は取り合いを激化させ、後者は曲全体の土台を細らせます。
EQは席の割り振りであって、迫力を足す魔法ではありません。
サイドチェインは最後の一手
キックが鳴る瞬間だけ、ベースに席を譲らせる自動装置です。
音色、役割、音量、EQまで整えても、キックとベースが同時に鳴る瞬間の衝突だけは残ることがあります。そこで使うのがサイドチェインです。
キックの音をきっかけにして、コンプレッサーがベースの音量を一瞬だけ自動で下げ、キックが鳴り終わるとすぐ戻す。満員電車で一瞬だけ体を引いて人を通すような動きです。
ダンスミュージックでは、この沈み込みをあえて深くかけて、曲全体が脈打つようなノリを作る使い方もあります。ただし本来の目的は衝突の解消なので、初心者はキックの瞬間にベースがすっと引っ込む程度の浅いかかりで十分です。
順番の最後に置いたのには訳があります。手前の4つをやらずにサイドチェインだけかけると、濁りの原因が消えるのではなく隠れるだけだからです。
音色が悪ければ濁ったまま脈打つ曲になります。最後の一手は、最後だからこそ効くのです。
モノラルで確認する
左右の広がりを消すと、低音の重なりが正直に聞こえます。
仕上げの確認はモノラル、つまり左右を1本にまとめた状態で行います。DAWやメータープラグインにはモノラル切り替えの機能があるので、ボタンひとつです。
なぜモノラルかというと、ステレオの広がりは音の重なりを覆い隠すからです。左右に散らばった音に気を取られて、真ん中で起きている低音の渋滞に気づけません。
モノラルにすると全員が真ん中の一点に集まるので、キックとベースが住み分けできているか、それとも団子になっているかが誤魔化しなく聞こえます。
加えて現実の再生環境の問題もあります。スマホの内蔵スピーカー、店舗のBGM、小型のポータブルスピーカーなど、世の中の再生機はモノラルに近い状態のものが意外と多い。
ステレオのヘッドホンでしか成立しない低音は、聞き手の環境では崩れます。モノラルで聞いてもキックの位置とベースの動きが分かるなら、その低音はどこで再生されても土台として働きます。
低音が片付くと、その上に乗せる楽器や歌の判断も一気に楽になります。1曲を仕上げるまでの工程全体は、制作工程マップで確認できます。
よくある疑問
EQはどの帯域を何dB削ればいいですか
決まった数値はありません。下を任せた方の音を残し、もう一方の低い成分を、濁りが薄れるまで少しだけ削ります。削りすぎると音が細くなるので、耳で戻しながら決めます。
サイドチェインは必ず使うものですか
最後の手段です。音色選び、役割分担、音量、EQで住み分けができていれば、使わなくても成立する曲は多くあります。順番を飛ばして最初から使うと原因が隠れるだけです。
キックとベースはどちらを大きくすべきですか
ジャンルと曲によります。ダンス系はキックが主役になることが多く、歌ものではベースが土台として支える形もあります。大事なのは数値ではなく、先にどちらが主役かを決めることです。
ヘッドホンだと低音のぶつかりが分かりません
音量を下げて聞く、モノラルに切り替える、書き出して別の機器で聞く、の3つを試します。特にモノラルでは重なりの濁りが誤魔化しなく聞こえます。
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