耳が疲れる時のDTM作業ルール

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
夕方まで作業していると、さっきまで気持ちよかった音が急に耳へ刺さり始めます。ハイハットがうるさく感じ、ボーカルがどこにいるのか分からなくなる。
これは機材の故障でも耳の異常でもなく、耳が疲れているサインです。疲れた耳のまま音をいじると、直さなくていい場所を触り、必要な直しを見落とします。
つまり、耳を疲れさせない作業の組み立てそのものが、ミックスの技術の一部です。音量の決め方、休憩の入れ方、疲れた耳のリセット、そして翌朝の耳の使い方。
この4つを扱えるようになると、長い制作でも最後まで音が正しく聞こえます。順番に見ていきます。
先に押さえること
耳は消耗品として扱い、疲れる前に休ませながら作業します。
- 大きい音より、小さめの音量で長く聞くほうが判断は安定する
- 45分から1時間に一度は、5分でいいので耳を休ませる
- 疲れを感じたら、無音とリファレンス曲で耳の基準を戻す
- その日の最終判断は、疲れた夜ではなく翌朝の耳に任せる
なぜ耳は疲れるのか
悪いのは耳の性能ではなく、浴びた音の量と時間です。
ヘッドホンから同じ8小節を何十回も浴びていると、耳の感度は少しずつ下がっていきます。大きい音を浴び続けた後の耳は、高い音への反応が鈍り、全体がこもって聞こえます。
この状態で「物足りないから」と高域を上げると、翌日に聞いたとき耳へ刺さる音になっています。疲れが直接ミスにつながる、というのはこの仕組みです。
疲れの原因は大きく2つに分けられます。
- 1つは音量です。大きい音は短い時間でも耳を消耗させます。
- もう1つは時間です。中くらいの音量でも、休憩なしで2時間続ければ耳は確実に鈍ります。
この2つは別々に対策できるので、分けて考えると手が打ちやすくなります。
やっかいなのは、疲れた本人ほど疲れに気づきにくいことです。だんだん物足りなくなって音量を上げ、その大きい音でさらに耳が鈍る。
この悪循環に入ると、作業した分だけ音が悪くなっていきます。だから、疲れてから休むのではなく、疲れる前提で作業を組み立てます。
音量を下げて長く聞く
大きい音は迫力を足すぶん、耳の寿命を削ります。
耳を守る一番の土台は、音量を欲張らないことです。大きい音は迫力が出て気持ちいいので、つい上げたくなります。
ですが判断のための試聴は、隣の人と普通に会話できるくらいの音量で足ります。小さめの音量なら耳の消耗が遅く、長い時間戦えます。
目安は、ボーカルの歌詞が普通に聞き取れて、キックが体に響いてこない程度です。この基準の音量を決めておくと、日によって聞く大きさがぶれず、昨日との比べ方も安定します。
迫力があるかどうかの最終確認だけ、短い時間だけ音量を上げて行い、終わったらすぐ基準へ戻します。
ヘッドホンは音が耳に近い分、同じ体感でも負担が大きくなりがちです。長時間の作業ではスピーカーのほうが疲れにくいことがあります。
機材をすぐ変えられないなら、いつもより音量を一段下げるだけでも、耳への負担ははっきり減ります。
休憩を先に予定へ入れる
休憩は、疲れてから取るものではありません。
休憩は、限界を感じてから取るのでは遅いです。作業に集中していると、耳が限界を超えても手は止まりません。
だから、45分から1時間に一度、5分でいいので耳を休ませる時間を先に決めておきます。タイマーをかけておくと、集中していても強制的に区切れます。
休憩中は、できるだけ静かな環境に耳を置きます。休憩と言いながら別の曲を大音量で流すと、耳は休まりません。
窓の外の音や、無音に近い場所へ耳を戻すと、作業へ戻ったときの聞こえ方が回復しています。コーヒーを入れる、少し歩く程度の離れ方でも十分です。
一日がかりの制作日には、昼にまとまった休憩を1回はさむのも効きます。午前は録音、午後はミックスのように役割を分け、その境目で耳をしっかり休ませる。
ぶっ通しで進めるより、区切ったほうが最終的な仕上がりは良くなります。
耳が疲れたらリセットする
ずれた基準は、外の物差しで戻します。
耳が疲れてきたと感じたら、いったん基準を戻す作業をします。まず数十秒、できるだけ無音に近い状態へ耳を置きます。
それだけでも、鈍っていた高域の感度が少し戻ります。焦って音を触るより、この数十秒のほうが効きます。
次に、目標に近い市販曲、いわゆるリファレンス曲を1曲、基準の音量で聞きます。迷ったらリファレンスに戻る、を合図にしておくと判断が安定します。
リファレンスは真似るためだけの材料ではなく、いま自分の耳がどれだけずれているかを測る物差しになります。自分の曲だけを聞き続けると基準が動くので、外の音に定期的に触れて耳を較正するわけです。
リファレンスと自分の曲を交互に聞き、低音の量や高域の刺さり方を比べます。差が大きいと感じた方向が、直す候補になります。
ただし、この比較も疲れた耳ではあてになりません。基準を戻しても違和感が消えないほど耳が疲れているなら、それは直す合図ではなく、休む合図です。
朝の耳がいちばん正確
ひと晩眠るだけで、耳は他人に近づきます。
時間をずらす対策の決定版が、朝の耳です。夜に何時間も作業した耳は、その曲に慣れきっていて粗が聞こえません。
同じ曲を翌朝いちばんに聞くと、昨夜は気にならなかった音量バランスの崩れや、うるさいパートがはっきり分かります。眠っているあいだに、耳の慣れがリセットされるからです。
だから、その日の最終判断はしません。夜は書き出すところまでにして、良し悪しの決定は翌朝の、まだ疲れていない耳へ回します。
朝いちばんの1回で感じたことが、リスナーの第一印象にいちばん近い感想です。2回3回と聞き直すと、また耳が慣れて初回の違和感が薄れていくので、最初の1回を大事にします。
レッスンで歌もののバランスを見るときは、まずドラムとボーカルが聞こえているかを確認します。朝の耳でこの2つの主役が前に出ているかを聞けば、夜のあいだに気持ちよく盛りすぎた飾りの音に気づけます。
疲れていない耳で、主役から順に確かめる。これが翌朝にやる価値のある確認です。
疲れのサイン別の対処
サインに気づいたら、その場ですぐ手を打ちます。
| 疲れのサイン | 耳に起きていること | その場の対処 |
|---|---|---|
| 高い音が刺さり始めた | 高域への感度が鈍っている | 音量を下げて5分休む |
| 何を直せばいいか分からない | 判断力そのものが落ちている | 無音とリファレンスで基準を戻す |
| だんだん音量を上げている | 耳が鈍って物足りなくなっている | 手を止めて休憩を入れる |
| 低音の量が分からない | 耳が低音に慣れてしまった | スピーカーとヘッドホンを入れ替える |
| 直すほど悪くなる気がする | 疲れで良し悪しが逆転している | その日はやめて翌朝に回す |
疲れた耳では判断しない
迷ったら直すのではなく、決めるのをやめます。
最後に、いちばん大事な一線です。疲れた耳では判断しない。
疲れているのに無理して決めた直しは、翌日にはほぼやり直しになります。夜中に3時間かけて追い込んだミックスが、朝聞いたら別物で、結局やり直した。
多くの人が一度は通る道です。同じ時間を、翌朝の10分でやれば済んだ、ということがよく起きます。
疲れを感じたら「今日はもう決めない」と最初から決めておくと、迷いません。それでも手を動かしたいなら、判断のいらない作業へ切り替えます。
トラックの整理、ファイルの保存、次にやることのメモ書き。耳を使わない作業なら、疲れていても安全に進められます。
耳は消耗品ですが、休めば回復します。守りながら使えば、長い制作でも最後まで正しく聞こえます。
音を判断する力そのものを整えたら、次は、その耳で曲全体をどう組み立てて仕上げていくかです。音出しからフルコーラス完成までの流れは、下の制作工程マップに1枚でまとめています。
よくある疑問
休憩はどのくらいの間隔で取ればいいですか
45分から1時間に一度、5分でかまいません。集中すると耳が限界を超えても手が止まらないので、タイマーをかけて強制的に区切るのがおすすめです。休憩中は別の音楽を大音量で聞かず、静かな環境に耳を戻すと回復が早まります。
作業する音量の目安はどのくらいですか
隣の人と普通に会話できるくらいの音量で十分です。小さめの音量なら耳の消耗が遅く、長い時間判断できます。迫力の最終確認だけ短い時間だけ音量を上げ、終わったらすぐ元の基準に戻します。
疲れた耳でも作業を進めていいですか
耳を使う判断はしないでください。疲れたまま決めた直しは翌日ほぼやり直しになります。手を動かしたいなら、トラックの整理、保存、次にやることのメモなど、耳を使わない作業に切り替えます。
なぜ朝の耳がいちばん正確なのですか
夜に何時間も作業した耳は曲に慣れきっていて、粗が聞こえなくなっています。ひと晩眠ると耳の慣れがリセットされ、翌朝はリスナーに近い状態で聞けます。朝いちばんの1回で感じたことが、いちばん正直な感想です。
ヘッドホンとスピーカー、どちらが耳に優しいですか
ヘッドホンは音が耳に近い分、同じ体感でも負担が大きくなりがちです。長時間の作業はスピーカーのほうが疲れにくいことがあります。機材を変えられないなら、音量を一段下げるだけでも耳への負担は減ります。
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