ボーカルが埋もれる時の直し方

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
フェーダーを上げると声だけカラオケのように浮き、下げるとオケの中に沈む。ボーカルが埋もれる時、ほとんどの人はこの往復を繰り返します。
往復から抜けられないのは、原因が音量ではないからです。
音量以外の原因は3つに分けられます。伴奏が声と同じ帯域を占領している、オケが厚すぎて中央に隙間がない、リバーブで声が後ろへ下がっている。
順に切り分ければ、ボーカルを1dBも上げずに前へ出せることが多いです。
先に見ること
埋もれの直し方は、音量以外から探します。
- 上げても抜けないなら、原因は音量ではない
- 疑う順番は、帯域の衝突→オケの厚さ→リバーブ
- 手を入れるのはボーカルより伴奏側が多い
- 直ったかは、小さい音量で歌詞が聞き取れるかで判定
「埋もれる」の正体
音量の問題ではなく、居場所の問題です。
録った声をソロで聞くとちゃんと録れているのに、オケと混ぜた瞬間に聞こえなくなる。これが埋もれの典型です。
声が壊れているわけではないので、ボーカルトラックをいくら処理しても核心には届きません。
埋もれとは、声とオケが同じ場所を取り合っている状態です。同じ帯域、同じ中央の定位、同じ距離感。
場所がかぶったまま音量だけ競わせるから、上げれば浮き、下げれば沈む、の往復になります。
だからこの記事は、ボーカルの処理ではなく、声の居場所を空ける作業を扱います。
ミックスの工程全体を順に学びたい場合はボーカルミックスの基本の記事があり、こちらは埋もれという一つの症状だけを深く掘ります。
30秒でできる切り分けテスト
最初に、音量の問題かどうかだけ決着させます。
やることは一つです。ボーカルはそのままにして、オケ全体のフェーダーを少しだけ下げて再生します。
これだけで歌がすっと聞こえてきたら、ボーカルに足りないものは何もありません。オケが場所を空けていないだけです。
逆に、オケを下げても歌が細くて頼りないなら、録り音そのものが小さいか弱い可能性があります。この場合はミックスで粘るより、マイクとの距離や声の張り方を変えて録り直す方が早く解決します。
このテストの価値は、直す場所を最初に決められることです。原因がオケ側だと分かれば、以降はボーカルのプラグインを増やす誘惑を断って、伴奏の整理に集中できます。
音量以外の原因3つ
効きやすい順に並べています。
制作の現場で判断の軸にされている考え方があります。歌ものはドラムとボーカルが聞こえる状態を先に作る、そしてコードやパッドを気持ちよく上げすぎると主役が奥へ下がる、というものです。
埋もれの原因は、ほぼこの「気持ちよく上げすぎた伴奏」の中にあります。
| 優先 | 原因 | 見分けるサイン | 直す場所 |
|---|---|---|---|
| 1 | 帯域の衝突 | 特定の楽器を消すと歌が急に前へ出る | その楽器のEQと音域 |
| 2 | オケが厚い・広い | 楽器数を減らすと埋もれも減る | 音数と左右の配置 |
| 3 | リバーブで遠い | 響きを切ると声が近くなる | 声とオケの響きの量 |
3つは同時に起きていることもあります。ただし直す時は一つずつです。
まとめて触ると、どれが効いたのか分からなくなり、次の曲で同じ症状に出会った時にまたゼロから迷います。
手順1 帯域の衝突をほどく
歌とぶつかっている楽器を特定します。
まず犯人探しです。ギター、ピアノ、シンセなど、歌と同時に鳴っている楽器を1つずつミュートしてみます。
どれかを消した瞬間に歌詞がはっきり聞こえるようになったら、その楽器が声と同じ帯域を占領しています。
直す時にEQで削るのは、ボーカルではなくその楽器の側です。歌詞の聞き取りに効くのは声の中域から上の成分なので、犯人の楽器からそのあたりを少しだけ削ります。
楽器をソロで聞くと物足りなく感じる程度で構いません。歌と一緒に鳴らした時に歌詞が通るかどうかだけで判断します。
EQより前に、打ち込みを直す手もあります。伴奏の和音の一番上の音が歌のメロディと同じ高さで動いているなら、和音を下の転回形に変えるだけで衝突そのものが消えます。
削る必要すらなくなるので、MIDIで作った伴奏ならこちらが先です。
手順2 オケの中央を空ける
ボーカルの席は、真ん中の一等地です。
ボーカルは通常、左右の真ん中に置かれます。ところが左右いっぱいに広げたシンセや、重ねて分厚くしたギターは、端だけでなく中央まで音で塗りつぶします。
歌の席に、先に伴奏が座っている状態です。
対処は2方向あります。一つはパンで伴奏を左右へ振り分けて、中央を歌に譲ること。もう一つは音数の間引きです。
同じ和音を弾いている楽器が複数あれば1つに絞る、パッドの重ねを減らす、刻みを白玉に変える。オケは少し寂しくなったように感じても、歌が乗ると埋まります。
ミックスで何時間も粘るより、アレンジを1か所変える方が早いことは本当によくあります。
埋もれと戦っているのに直らない時は、処理の腕ではなく、そもそもの音の配置を疑ってください。
手順3 響きで遠くなっていないか
埋もれではなく、後ろに下がっているだけの場合です。
リバーブは音を奥へ引っ込める効果を持っています。声に響きを足しすぎると、聞こえてはいるのに遠くで歌っているようになり、これが埋もれとほとんど同じ症状に聞こえます。
確認は、ボーカルのリバーブを一時的に切ることです。声が急に近くなって埋もれ感が消えたら、原因は響きの量でした。
切った状態を基準に、少し寂しいと感じる程度まで薄く戻します。
オケ側の響きも見てください。伴奏全体が残響だらけだと、霧の中に声を置いているようなもので、どれだけ整理しても輪郭が立ちません。
響きの減らし方の詳しい順番は、リバーブのかけすぎの記事で扱っています。
直ったかの確認
埋もれ専用のチェック方法があります。
埋もれの判定基準は、歌詞です。再生音量を思い切って小さくして、それでも歌詞が全部聞き取れるかを確かめます。
埋もれが直った曲は、小さい音量でこそ歌が主役だと分かります。
次に、サビとAメロの両方で確認します。オケが厚くなるサビだけ埋もれる、弱く歌うAメロだけ埋もれる、というように場面で症状が違うことは多く、直す場所も場面ごとに変わります。
最後はスマホやイヤホンです。制作環境でだけ聞こえるバランスになっていないか、書き出してふだんのリスニング環境で聞きます。
ここで歌が立っていれば、埋もれ対処は完了です。
埋もれない土台の作り方
次の曲では、埋もれる前に手を打ちます。
いちばん効く予防は、ミックスの最初にドラムとボーカルの2トラックだけでバランスを作ってしまうことです。
主役2つの関係を先に固定し、ベースやコードは、主役をかすませない範囲で後から足していく。足した音で歌が沈んだら、足した音の方を下げます。
アレンジの段階でも打てる手があります。歌のメロディの音域を先に決めて、伴奏の和音はその下に置く癖をつけると、帯域の衝突が最初から起きにくくなります。
埋もれを一度自力で直すと、原因の探し方が身につきます。その経験を曲の完成まで運ぶ流れは、制作工程マップに1枚で整理してあります。
よくある疑問
ボーカルの音量を上げるだけではだめですか
上げて自然に解決するなら音量の問題です。上げると浮いて聞こえるのに下げると埋もれる場合は、帯域の衝突や伴奏の厚さが原因なので、上げ続けても解決しません。
EQで削るのは歌とオケのどちらですか
主役は歌なので、原則はオケ側を削ります。歌とぶつかっている楽器を特定し、その楽器から声の帯域を少し空けると、歌を触らずに前へ出せます。
コンプで埋もれは直りますか
弱く歌った歌詞だけが埋もれるなら、音量の凸凹をならすコンプが効きます。曲全体を通して埋もれているなら原因は別なので、先にオケ側の整理を試します。
ハモリやダブルを重ねれば抜けますか
場所が空いていない状態で重ねると、オケがさらに厚くなって逆効果になることがあります。先に伴奏を整理して主役の場所を空けてから、飾りとして重ねる順番がおすすめです。
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