ボーカルミックスの基本

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
歌を録ってオケに乗せたのに、なぜか混ざらない。ボーカルの音量を上げると声だけ浮いて聞こえ、下げると今度は埋もれる。初心者のボーカルミックスで、いちばん多いのがこの往復です。
抜け出す鍵は、高い道具ではなく順番です。先にドラムとボーカルの聞こえ方を決めてから、①不要部分のカットとタイミング直し、②音量の凸凹を均す、③EQで帯域の整理、④リバーブで馴染ませる、と進めます。各工程を「何のためにやるのか」とセットで覚えると、設定値を暗記しなくても耳で判断できるようになります。
先に見ること
ボーカルミックスは、主役を決めてから4工程で進めます。
- 先にドラムとボーカルの聞こえ方を決める
- ①下ごしらえ:不要部分のカットとタイミング直し
- ②音量オートメーションかコンプで凸凹を均す
- ③EQで邪魔な帯域を整理 ④リバーブやディレイで馴染ませる
ドラムとボーカルを先に立たせる
プラグインより先に、主役の場所を決めます。
制作の現場で軸にしている判断があります。ミックスはドラムとボーカルの聞こえ方を先に決める。この2つが聞こえれば大体かっこよくなる、という考え方です。
歌ものを聞く人が最初に追いかけるのはリズムと歌なので、この2つさえ立っていれば、曲の骨格はもう成立しています。
逆に言うと、埋もれる曲の多くは、コードやパッドなど気持ちいい響きの音を上げすぎて、主役が奥へ下がっています。和音が好きな人ほど伴奏を厚くしがちで、その厚さがそのままボーカルの居場所を奪います。
だから最初の作業はプラグインを挿すことではありません。いったん全トラックを鳴らすのをやめて、ドラムとボーカルの2つだけを再生し、フェーダーで気持ちいいバランスを作ります。
そこへベース、コード、上物の順に少しずつ戻し、主役がかすんだら足した音のほうを下げる。全部を大きくするのではなく、主役以外を少し下げるのがフェーダーの使い方です。
この土台ができてから、次の4工程に入ります。フェーダーで作った関係を壊さないように整えていく、という位置づけです。
4工程の全体像
それぞれ「何のため」かを先に押さえます。
ボーカルミックスのやり方は、料理に置き換えると覚えやすいです。
- 素材の下ごしらえ
- 火加減を一定にする
- 味がぶつかる材料を減らす
- 盛り付けで全体をまとめる
順番が前後すると、後の工程が前の工程の粗を拡大してしまいます。
たとえばノイズが残ったままコンプをかけると、ノイズごと持ち上がります。帯域がぶつかったままリバーブを足すと、濁りごと響きます。
上から順に進める理由は、この巻き戻りを防ぐためです。
| 工程 | 何のためか | 耳で確認すること | やりすぎのサイン |
|---|---|---|---|
| 0. フェーダー | 主役の場所を決める | ドラムとボーカルが両方聞こえるか | 全トラックを上げ続けている |
| 1. 下ごしらえ | 後の処理の材料を整える | ノイズや余計な息、ずれが残っていないか | ブレスを全部消して不自然になる |
| 2. コンプ/オートメーション | 声の距離を一定にする | 小さい歌詞も張った声も同じ距離で聞こえるか | 抑揚が消えて声が平らに張り付く |
| 3. EQ | オケとぶつかる帯域を整理する | オケと同時に鳴らして歌詞が通るか | 声が細く痩せて電話のようになる |
| 4. リバーブ/ディレイ | 素の声をオケに馴染ませる | 切った時に少し寂しく感じる程度か | 響きが声より先に耳に届く |
工程①下ごしらえ
目的は、後の処理を安定させることです。
最初にやるのは、録ったボーカルの掃除です。歌っていない区間の環境音やリップノイズ、椅子のきしみを含む部分をカットします。歌い出しや語尾がオケから大きくずれているなら、この段階でタイミングも直します。
地味な作業ですが、目的ははっきりしています。工程②以降のエフェクトは、粗も一緒に強調してしまうからです。
ブレス(息継ぎ)は全部消さないでください。息は歌の一部で、消しすぎると機械のような不自然さが出ます。
目立ちすぎる息だけ音量を下げる程度にとどめます。
もうひとつ、録音の段階で決まってしまうことがあります。赤く振り切って割れた録音は、後の工程では戻せません。
録り直せるなら、大きく録るより割らずに残すことを優先して録り直したほうが、結局早く仕上がります。
工程②凸凹を均す
目的は、全部の歌詞を同じ距離で聞かせることです。
人の歌は、サビで張った声とAメロの小さな声で音量差がとても大きい素材です。フェーダーは1本のトラック全体を上下させるだけなので、この凸凹までは直せません。
張った所に合わせると弱い所が埋もれ、弱い所に合わせると張った所が飛び出します。
直し方は2つあります。ひとつは音量オートメーションで、小さく歌った言葉を持ち上げ、張った所を下げる作業を手で書きます。
時間はかかりますが、何をしたか自分で分かるので初心者に向いています。
もうひとつがコンプ(コンプレッサー)です。大きい音が来た時だけ自動で抑えてくれる道具で、オートメーションの自動版と考えると分かりやすいです。効き具合は数値ではなく耳で決めます。
かけた後にオケと一緒に再生し、弱い歌詞まで全部聞き取れるようになったか、そして声の抑揚がまだ生きているか。この2つが確認基準です。両方を軽く併用しても構いません。
工程③EQで帯域の整理
目的は、声を飾ることではなく場所の整理です。
EQ(イコライザー)は音の高さごとの成分を増やしたり減らしたりする道具です。初心者はボーカルをきれいにする道具だと思いがちですが、この段階での本当の目的は交通整理です。
声とオケが同じ帯域で同時に鳴っていると、音量を上げ合っても互いを消し合うだけだからです。
使い方は「足す」より「削る場所を探す」です。声のこもって聞こえる成分を少し削る、オケ側のギターや鍵盤から声とぶつかる成分を少し削る。
どちらを削るかは、主役はボーカルという前提で決めます。
判断で大事なのは、ソロで聞かないことです。ボーカル単体で美しく整えても、オケと混ぜた瞬間に意味がなくなります。
必ずオケと一緒に鳴らし、歌詞が通るようになったかで判断します。探す時は、ドラムとベースの低い側から上の音域へ順番に聞いていくと、どこで声とぶつかっているか見つけやすくなります。
工程④響きで馴染ませる
目的は、浮いた声をオケと同じ場所に置くことです。
ここまでの工程を終えた声は、はっきり聞こえる代わりに、オケから浮いて乾いて聞こえることがあります。マイクの前で録った声には部屋の響きがほとんど入っておらず、響きを持つオケと質感が合わないためです。
そこでリバーブを薄く足して、声とオケを同じ空間に置きます。リバーブは残響、つまり風呂場やホールのような響きを人工的に足す道具です。
量の基準も耳で決めます。響きがはっきり聞こえる状態はすでに多すぎで、いったん切ってみて少し寂しいと感じる量がちょうどいい目安です。
響きを足すと声が遠くなってしまう曲では、ディレイ(やまびこのように音を遅らせて返す道具)を薄く使う手もあります。残響のように伸び続けないので、言葉の輪郭を保ったまま馴染ませやすくなります。
どちらを使うにしても、工程の最後に置く理由は同じです。整っていない声に響きを足すと、粗まで響いて取り返しがつかなくなります。
埋もれる時の典型原因
直す場所は、ボーカル側ではないことが多いです。
4工程を終えても埋もれる時、初心者はさらにボーカルへ処理を重ねようとします。ただ、経験上ここで見るべきはオケ側です。
試しにオケ全体のフェーダーを下げてみてください。それだけで歌が聞こえるなら、ボーカルに足りないものは何もなく、オケが場所を空けていないだけです。
| 症状 | ありがちな原因 | 先に戻る場所 |
|---|---|---|
| 声が薄く遠い | オケが広く厚すぎて中央が埋まっている | パッドや重ねた和音を減らすか下げる |
| 全体がぼやける | オケとボーカル双方のリバーブ過多 | 響きを一度全部切ってから薄く戻す |
| 上げても抜けない | 音量ではなく帯域の衝突 | 工程③に戻り、オケ側を削る |
特に多いのが、左右いっぱいに広げたシンセや重ねたギターが、ボーカルの居場所である中央まで塗りつぶしているケースです。音数を減らす、和音の音を間引く、上物を少し下げる。
作曲側に戻る判断ですが、ミックスで10回粘るより1回のアレンジ変更のほうが早く解決することはよくあります。
もうひとつの定番が、響きの足しすぎです。トラックごとに気持ちよくリバーブを足していくと、曲全体が霧の中に沈みます。
迷ったら一度すべての響きを切り、ドラムとボーカルが聞こえる状態を確かめてから薄く戻します。
やりすぎのサイン
かけた本人が気づきにくいので、比較で見つけます。
ミックスの失敗は、足りないことより、やりすぎで起きます。しかも作業中は耳が慣れてしまい、本人がいちばん気づけません。
工程ごとのサインを知っておくと、慣れた耳でも引き返せます。
- コンプのやりすぎは、声の抑揚が消えて、ずっと同じ大きさで張り付いたように聞こえる状態です。
- EQのやりすぎは、声が細く痩せて電話越しのようになる、あるいは耳に刺さる状態。
- リバーブのやりすぎは、響きが声より先に耳に届いて、歌詞が聞き取れなくなる状態です。
見つけ方は単純で、エフェクトを一時的に切って(バイパスして)前後を聞き比べます。切った素の状態のほうが良く聞こえたら、その処理は戻します。
処理した後のほうが音が大きくなっていると良く聞こえてしまうので、同じ大きさに揃えて比べるのがコツです。
仕上げの確認は、サビを含む8小節だけ書き出して、スマホやイヤホンなどDAWの外で聞くことです。作業画面から離れると、ドラムとボーカルが本当に立っているか、素直に判断できます。
ここまでできれば、ボーカルミックスの基本は一周です。この工程が曲作り全体のどこに位置するのかは、制作工程マップで一枚にまとめています。
よくある疑問
ボーカルが埋もれる時は何から直せばいいですか
ボーカル側を上げる前にオケ側を疑います。オケのフェーダーを下げて歌が聞こえるなら、原因は音量ではなくオケの厚さや帯域の重なりです。ドラムとボーカルだけの状態から他の音を戻して確認します。
EQとコンプはどちらが先ですか
順番の正解を暗記するより目的で考えます。音量の凸凹が大きいならコンプが先、こもりや衝突が気になるなら削るEQが先です。どちらも、オケと一緒に聞いて歌詞が通るかで判断します。
無料プラグインだけでボーカルミックスはできますか
できます。本文の4工程はどれもDAW付属のコンプ、EQ、リバーブで実行できます。道具を増やす前に、フェーダーと付属エフェクトで判断の練習をするほうが上達は早いです。
ボカロの調声済み音源にも同じ手順でいいですか
同じ手順で進められます。生歌より音量の凸凹が小さいので工程②は軽く済みやすい一方、オケとの帯域の衝突や響きの馴染ませ方は生歌と同じ考え方で確認します。
リバーブをかけると歌が遠くなるのはなぜですか
響きの量が多すぎて、声の輪郭より残響が前に出ている状態です。まず量を減らし、それでも馴染まなければ、長く伸びる響きの代わりに短い響きやディレイを試します。
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