パンの基本

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
トラックを重ねていくと、すべての音がスピーカーの真ん中で団子になって鳴り始めます。
パンを知らないうちは、ミックスの整理に使える軸は音量の1本だけ。歌もギターもピアノも、同じ場所で音量の椅子取りゲームをすることになります。
パンは、そこに「左右」というもう1本の軸を足す道具です。誰を中央に残し、誰を左右に動かすか。
配置のルールは驚くほどシンプルで、覚えることは実質2つしかありません。順番に見ていきます。
先に見ること
パンは左右の置き場所。中央に主役、左右に飾りが基本形です。
- パンは音を左右のどこから聞こえさせるかを決めるツマミ
- キック・ベース・歌は中央に残す
- コード楽器や飾りは左右に配って通り道を空ける
- 目盛りいっぱいまで振る前にヘッドホンで確認する
パンは左右の置き場所を決めるツマミ
音量が前後なら、パンは横の位置です。
パンは、音を左右のどこから聞こえさせるかを決めるツマミです。名前はパノラマの略で、DAWのミキサーではフェーダーの近くにある小さな回転ツマミや横向きのスライダーがそれにあたります。
左いっぱいに回せば左のスピーカーだけから、中央なら左右両方から同じ大きさで鳴ります。
音量が「前後」の距離を決めるとしたら、パンは「横」の位置を決めます。
ステージを思い浮かべてください。ボーカルは中央に立ち、ギターは左寄り、ピアノは右寄り。バンドの立ち位置を決めるのと同じ作業を、ミックスの中で行うわけです。
全員がステージ中央の一点に固まって演奏していたら、一人ひとりが上手でも、音は聞き分けにくくなります。
そして打ち込みで作った曲のトラックは、何も操作しなければ全部が中央に置かれています。
つまりパンを触っていない曲は、全員がセンターマイクの前に集まっている状態です。ここから、誰を中央に残し、誰を左右へ動かすかを決めていきます。
なお、ピアノ音源のように最初から左右の広がりを持つステレオトラックでは、パンは左右の音量の釣り合いを変えるバランスとして働くことが多くなります。
細かい仕組みの違いは後回しで構いません。今は「その音をどちら側へ寄せるかを決めるツマミ」という理解で先へ進みます。
センターに置く音
重心と主役は、正面から動かしません。
中央に残すのは、キック、ベース、そして歌(インストならメインのメロディ)です。
まず低音側のキックとベース。低い音は左右のどちらから鳴っているのか耳で判別しにくく、振っても広がりの効果が薄いわりに、片側のスピーカーにだけ重い負担が寄って全体が傾きます。
曲の重心は真ん中に据えるのが基本です。
歌を中央に置く理由は、主役だからです。聞く人の正面、一番目立つ位置に主役を立たせます。
スネアもリズムの芯として中央か、そのすぐ近くに置くことが多いです。歌ものでは、ドラムとボーカルがはっきり聞こえる状態を最初に作る、という判断軸をレッスンでも勧めています。
パンで言い換えれば、この2つの芯が中央にまっすぐ立っているのが先で、飾りを左右に配るのはその後という順番です。
中央組さえ決めてしまえば、残りは全部「動かしてよい音」です。
迷ったら、その音が曲の重心か、主役かを問いかけてください。どちらでもなければ、左右へ動かす候補です。
左右に広げる音
主役の通り道を空けるために、飾りを外へ配ります。
左右に広げる代表は、コードを弾くギターやピアノ、ハイハットやタンバリンなどの細かい音、コーラス、シンセの飾りです。
これらが中央の主役と同じ場所にいると、歌に覆いかぶさって邪魔をします。左右に逃がすと、中央に歌の通り道ができます。
定番の配置をいくつか挙げます。ギターのバッキングが2本あるなら左右へ1本ずつ。同じフレーズを2回録音して左右に振る手法は、ロックの厚いギターサウンドの定番です。
ギターとピアノが両方いる編成なら、ギターを左、ピアノを右のように反対側へ分けます。ハイハットは中央から少しずらす程度で十分です。
コツは、ペアで考えることです。左に何かを置いたら、右にも同じくらいの重さの音を置く。
左右の重さがつり合っていると、全体は安定して聞こえます。片側だけに音が集まると、聞いていて落ち着かないミックスになります。
生ドラムらしい響きを狙うなら、ドラムキットの中でも軽く散らす手があります。タムを高い音から低い音へ左右に流したり、シンバルを外側に置いたり。
ただし、ドラム音源のプリセットは最初から配置済みのことが多いので、打ち込み中心のうちはそのままで十分です。手を入れるのは、キット全体が団子に聞こえたときだけで構いません。
配置の目安(早見表)
迷ったら、この表を出発点にして耳で微調整します。
| 音 | 置き場所の目安 | 理由 |
|---|---|---|
| キック・ベース | 中央 | 低音の重心を真ん中に保つ |
| 歌・メインメロディ | 中央 | 主役を正面に立たせる |
| スネア | 中央〜わずかにずらす | リズムの芯を保つ |
| ギター(バッキング) | 左右どちらか、2本なら両側 | 中央の歌と場所を分ける |
| ピアノ・鍵盤 | ギターの反対側 | 左右の重さをつり合わせる |
| ハイハット・パーカッション | 中央から少しずらす | 細かい音を散らして密度を出す |
| コーラス・パッド | 左右に広げる | 中央の主役を包む |
見通しが良くなる実例
音量を1dBも変えずに、歌が前に出ることがあります。
配置で何が変わるのか、よくある場面で確かめてみます。
歌とアコースティックギターと打ち込みドラムだけの曲なのに、なぜか歌が聞き取りにくい。フェーダーで歌を上げてみても、今度はオケが遠くなるだけ。
この場合、原因は音量ではなく場所の取り合いです。ギターの成分と歌の成分が、同じ中央でぶつかっています。
ここでギターのパンを半分ほど左へ動かすと、それだけで歌の輪郭が前に出てきます。音量は1dBも変えていないのに、です。
左右に場所を分けると、似た高さの音同士でも共存できるようになります。EQで削り合いを始める前に、パンで住所を分ける。
この順番を覚えておくと、ミックスはずっと楽になります。
打ち込みのアレンジが「音数は多いのにごちゃごちゃする」ときも、まずパンを疑ってください。
全トラックが中央のままなら、整理はまだ始まってもいません。左右に配り終えて、それでも濁る場所だけをEQで手当てすれば、作業量は最小限で済みます。
振りすぎに注意
広げるほど良くなるわけではありません。
効果が楽しくなってくると、今度は振りすぎが起きます。あれもこれも目盛りいっぱいの左右へ配ると、一聴は派手ですが、中央がすかすかになります。
真ん中に立っているのが歌だけになり、オケと歌が分離して、伴奏と歌手が別の部屋にいるような響きになってしまいます。
片側いっぱいに振った音には、もう1つ落とし穴があります。ヘッドホンで聞くと片耳だけで鳴り続けて、想像以上に不自然なのです。
スピーカーなら部屋の反射で左右が適度に混ざりますが、イヤホンやヘッドホンでは分離がそのまま耳に届きます。
大きく振ったトラックは、必ずヘッドホンでも確認してください。まずは目盛りの半分くらいまでの範囲で試すのが安全です。
迷ったときは、好きな市販曲をヘッドホンで聞いて、楽器がどこに立っているかを地図に描いてみるのもおすすめです。
歌とベースはほぼ例外なく中央にいて、その外側にギターや鍵盤、さらに外にコーラスや飾りが並んでいるはずです。答え合わせの相手がいると、自分の曲の配置も客観的に見えてきます。
仕上げに、左右の偏りを点検します。目を閉じて曲を再生し、音の重心が体の正面に感じられるかを確かめてください。
ステレオの広がりは、中央にしっかりした芯があってこそ生きます。左右の配置はミックスの早い段階で一度決めて、あとは微調整だけにするのが楽です。
曲作り全体のどのタイミングでパンを触るのかは、制作工程マップで流れごと確認できます。
よくある疑問
パンはいつ調整しますか
音量バランスの後がやりやすいです。フェーダーで主役と土台が聞こえる状態を作ってから、混雑している音を左右に逃がすと、効果がはっきり分かります。
キックやベースを左右に振ってはいけませんか
禁止ではありませんが、低い音は左右のどちらにあるか耳で判別しにくいうえ、片側だけ重くなって全体が傾きます。特別な狙いがなければ中央が安全です。
どのくらい振れば良いですか
目盛りいっぱいまで振る音は少数派です。まず半分くらいまでの範囲で試し、ヘッドホンで聞いて不自然でないかを確認しながら決めます。
左右の偏りはどう確認しますか
目を閉じて再生し、音の重心が体の正面にあるかを確かめます。ヘッドホンを左右逆にかけて聞き直すと、片寄りに気づきやすくなります。
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左右の配置が決まったら、音量や帯域の整理へ進みます。