リファレンストラックの使い方

作曲・編曲家 古賀 稔宏
「それいけ!アンパンマン」劇場版関連楽曲の作曲・編曲、Do As Infinity関連楽曲、アニメ楽曲、滝沢歌舞伎BGMなど、商業音楽の制作・演奏に携わる。
自分の曲だけを2時間も聞き続けると、低音が多いのか足りないのか、歌が大きいのか小さいのか、だんだん判断できなくなります。耳がその音に慣れてしまい、基準を失うからです。
地図を持たずに山を歩いているような状態です。
そこで持ち込むのがリファレンストラック、つまり市販されているプロの曲のお手本です。自分の曲の隣に置いて聞き比べれば、慣れてしまった耳に外の基準が戻ってきます。
高価な機材もソフトも要りません。必要なのは、選び方と比べ方の作法だけです。
先に見ること
リファレンスは耳の基準を取り戻すための「外のものさし」です。
- 選ぶのは、好きでよく知っている曲×自分が作るジャンル
- 比べる前に音量を揃える。揃えないと大きい方が良く聞こえる
- 聞き比べる場所は、低音の量感、歌の大きさ、左右の広がり
- 質感を参考にするのは学び。メロディを写すのは盗作
リファレンストラックとは
自分の曲と並べて聞くために用意する、市販曲のお手本です。
リファレンストラックとは、制作中の自分の曲と比べるために手元へ置いておく既存曲のことです。多くの場合、プロが録音からマスタリングまで仕上げた市販曲を使います。
書道でいう手本、料理でいう味見用の一皿です。
なぜ必要かというと、人の耳は驚くほど早く「今聞いている音」に順応するからです。もこもこした低音も、10分聞けばそれが普通に感じられます。
自分の曲のどこがずれているかは、自分の曲の中だけを探しても見つかりません。外の基準と並べたときに、初めて差として浮かび上がります。
もうひとつの効用は、部屋と機材のクセを差し引けることです。自宅の再生環境には必ず偏りがあり、低音が実際より多く聞こえる部屋も、少なく聞こえるヘッドホンもあります。
市販曲はその偏りごしでも「正しく仕上がった音」の鳴り方を教えてくれるので、同じ環境で並べて聞けば、偏りの影響を受けにくい比較ができます。
プロの現場でもこのやり方は普通に行われています。腕の差はリファレンスを使うかどうかではなく、並べたときに何を聞き取れるかに出ます。
つまり初心者こそ、早く使い始めて聞き取りの練習を積んだ方が得をします。
選び方:好きな曲×自分のジャンル
憧れだけで選ばず、2つの条件の重なりで選びます。
1つ目の条件は、好きで、すみずみまで知っている曲であることです。聞き込んだ曲なら、ベースの動きやハイハットの位置まで頭に入っています。
この記憶の解像度がそのまま比較の解像度になります。有名だからと、よく知らない曲を借りてきても、差を聞き取る手がかりがありません。
2つ目の条件は、いま自分が作っている曲とジャンルや編成が近いことです。ピアノバラードを作りながら激しいダンス曲と比べても、低音の量も歌の置き方も基準が違いすぎて、参考になりません。
バンド編成の曲を作っているならバンドものを、打ち込み中心ならそちらを選びます。
この2つが重なる曲を、まず1曲。慣れてきても3曲までにします。
基準は少ないほど強く機能します。また、レッスンでアレンジの相談を受けるときも、リファレンスは真似るためだけでなく、どんな楽器を使うか、どこで密度が上がるか、どこで休むかを決める材料になる、という使い方を勧めています。
ミックスの前、曲を組み立てる段階から役に立つ道具なのです。
音量を揃えてから比べる理由
揃えないと、比較が始まる前に勝負が決まってしまいます。
人の耳には、同じ音でも大きく再生された方が良い音に聞こえる、という強いクセがあります。迫力も艶も、音量が少し上がるだけで増して感じられます。
オーディオ店の試聴で高い機材が良く聞こえる仕掛けとしても知られる現象です。
市販曲はマスタリングを経ているため、作業中の自分の曲よりほぼ確実に音量が大きい。そのまま交互に再生すると、「プロの曲は大きい方の魔法」で良く聞こえ、自分の曲は内容と関係なく貧弱に聞こえます。
これでは低音が多いのか少ないのかという肝心の比較ができません。
だから比べる前に、参考曲側を下げて、体感の大きさを揃えます。やり方は簡単で、参考曲をDAWのオーディオトラックに読み込み、そのトラックのフェーダーを下げるだけです。
耳で「同じくらいの大きさ」と感じる位置まで下げれば十分です。
切り替えはソロとミュートを使い、数秒ずつ交互に聞きます。長く聞くとまた耳が慣れるので、切り替えは短く、が鉄則です。
何を聞き比べるか
全部を一度に比べず、3つの窓に絞って交互に聞きます。
音量を揃えたら、聞き比べの本番です。ただし漠然と「どっちがいい曲か」を聞いてはいけません。
落ち込むだけで情報が得られないからです。窓を3つに絞ります。
- 1つ目の窓は低音の量感です。キックとベースのあたりが、参考曲と比べて多いか少ないか、締まっているかぼやけているか。低音は自宅の再生環境で一番狂いやすく、初心者の曲が市販曲と最も差がつきやすい場所です。
- 2つ目の窓は歌の大きさです。オケに対してボーカルがどのくらい前に立っているか。自分の曲は歌が埋もれているのか、逆に浮いているのか。
- 3つ目の窓は左右の広がりです。どの楽器が真ん中にいて、何が左右に置かれているか。参考曲はセンターに何を残しているかを聞きます。
1回の再生で見る窓は1つだけにします。低音を聞くときは低音だけ。
窓を替えてもう一往復。この分業で、漠然とした「なんか違う」が、「低音が2割多い」「歌が奥にいる」という直せる言葉に変わります。
聞き取った差は、その場でメモに残します。頭の中だけで覚えておくと、直している途中でまた耳が慣れて、何を目指していたのか分からなくなるからです。
「参考曲よりベースが多い。少し下げる」。一行で十分です。
1回の聞き比べで持ち帰る宿題は1つか2つに絞り、直したらまた並べて答え合わせをする。この短い往復を重ねる方が、長時間の作業より確実に前へ進みます。
聞き比べポイント早見表
窓ごとに、聞く場所と直しに使う道具を並べます。
| 聞く窓 | 比べること | 差があった時に触る場所 |
|---|---|---|
| 低音の量感 | キックとベースの量、締まり | ベースのフェーダー、低域のEQ |
| 歌の大きさ | オケに対してどれだけ前にいるか | ボーカルのフェーダー、オケ側の音量 |
| 左右の広がり | 真ん中にいる楽器、左右に置かれた楽器 | 各トラックのパン |
| 密度の変化 | サビで何が増え、どこで休むか | アレンジ(楽器の出し入れ) |
真似と盗作の違い
質感から学ぶのは王道、旋律を写すのは別問題です。
市販曲をお手本にすると聞くと、「それは盗作ではないのか」と心配になる人がいます。線引きははっきりしています。
守られているのはメロディや歌詞といった作品の中身であって、音の質感や仕上げ方ではありません。
低音をこのくらいの量にする、歌をこの距離感で置く、サビで楽器をこう増やす。こうしたバランスや音色の傾向を参考にするのは、あらゆる作り手がやってきた普通の学び方です。
文体を学ぶために好きな作家を読み込むのと同じで、そこから自分の文章を書く限り何の問題もありません。一方、参考曲のメロディをなぞって自分の曲に移す、歌詞を写すとなれば、それは学びではなく盗作です。
むしろリファレンスを正しく使うと、盗作から遠ざかります。比べる対象がバランスと質感に固定されるので、旋律は自分のものを磨くしかなくなるからです。
お手本と自分の曲を何往復もして、直す一点を見つけて、また作る。この往復こそが独学の耳を育てます。
聞き比べで見つけた課題をどの工程で直すかは、制作工程マップと照らすと迷いません。
よくある疑問
リファレンスは何曲用意すればいいですか
最初は1曲、多くても3曲までにします。曲数が増えるほど基準がぶれて、どこへ向かえばいいのか分からなくなります。1曲を深く聞き込む方が学びは大きいです。
市販曲と比べると差がありすぎて落ち込みます
完成品と作業中の曲を比べているのだから、差があるのは当然です。差を全部埋めようとせず、低音の量なら低音の量と、今日直す一点だけを持ち帰るのがコツです。
参考にしたら盗作になりませんか
音量バランスや音色の傾向、楽器の構成といった「仕上がりの質感」を参考にするのは通常の学び方です。メロディや歌詞をそのまま写すこととは別物です。
リファレンスはDAWにどう取り込みますか
参考曲をオーディオトラックとして読み込み、ソロとミュートで自分の曲と交互に切り替えます。市販曲の方が大きいので、参考曲側のフェーダーを下げて音量を揃えてから比べます。
無料配布|アンパンマン劇場版楽曲を手がけた作曲家の「制作工程マップ」
音出し、コード、ドラム、メロディ、アレンジ、フルコーラス完成までの流れを1枚にまとめた無料マップです。登録するとその場でご覧いただけます。
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